愛のカタチ

父親失格のボクがこれからをどう生きるか、未来のボクに残したくて始めました。

キミから伝えてもらえないか

キミはずっと前から知ってたんだね。 だからあんなにパパに優しくいたんだね。 パパを一人きりにしないよう、キミは一人で優しくいたんだね。 たぶん、特別に意識したわけじゃなくて、もともとそういう優しさでいっぱいの人だったから、誰にも自然でいられたんだね。 そのキミがいない今、パパは見えず聞こえずで送っている。そして少しずつ見えて聞こえて、今度はそれに驚き、戸惑い、嘆き、悲しみ、虚しく送っている。 もし今キミがいてくれたら、どんなコトを言うだろうか。これまでの記憶を頼りに、キミのココロに触れようと手を伸ばしているけど、失敗ばっかりだ。 優しいってどういうコトなのか、それをなぞるように一つ一つ試してるんだけど、まだまだ全然届かない。 キミから少しでも、伝えてもらうわけにはいかないだろうか? 受けなきゃいけない苦しさはアタマではわかっていたけど、想像以上に、虚しいんだね。

無題

明日、ママは仕事だ。 毎週土曜日は、そうなる。 だから、息子と2人きりの日は、当座土曜日と決まった。 まだまだ信用し切れず、iMacに繋がったUSBポートを見れば何をしたのかと妄想する。鼓動が高鳴りながらマウスをクリックして、動作履歴を確認する。わからない。更に妄想が輪をかける。 だが、妄想なんかではなく、ボクは既に事実を知ってしまっている。その証さえ、持ってしまった。なんなら本人の言質さえ、叩き付けられた。だから、妄想なんて今更で、単なる裏付けに過ぎない。知れば知るほど、虚しく、悲しく、恐ろしくなるだけ。なのに、病的に働くボクの触覚は益々鋭くなっている。 それを、僅かながらも猛々しくくだらないプライドが、理性のような感覚をもってこの気持ちを抑えている。だからまだ爆発はしていない。危機的で且つ絶妙なバランスを保ったまま耐えている。いつまで続くのか、耐えている。 息子が隣で寝息を立てている。この頃はこうして、今日はパパと、今日はママと、と交代しながら添寝をしている。3人川の字になることは、もうない。息子は、それをも知っているのだろうか。パパとは楽しく、ママには甘えて、8歳にしてはグーっと幼稚な態度が今は心臓を掴まれたくらいに痛みをおぼえる。すまない。 いつか離れるその日のために、今は耐えて鍛えてチカラを蓄える。疲れを癒すのは、ココではなくて別に持つ。そういう生き方を選んだから、お前もそういう生き方を選べと示される。日々、そんな言葉をかけられているように思えてならない。あれほど愛したのに、今はそれさえ疑わしい。

仕事のカタチを変える

自分の会社を持って5年になる。 よくやって来た。 周りの人に恵まれ、支えられて来た。 でも、生き方を変えようと思う。 カタチを変えようと思う。 正しいと信じ切って来たものを一旦ゼロにして間違っていると思って来たものを一旦ゼロにする。 多少のリスクと耐力は要るが変なプライドを消せば、なんでもない。 実績はやって来たコトの上にしか積めないから それを生きる糧にするコトは間違いじゃない。 でも、それ以上やそれ以外を「実績」と思うのは間違っているどころか、浅はかで大馬鹿だ。 他人の評価の中で自分を試すのは、今の自分に必要なコトだ。 誤魔化しは効かないから、実績だけが自分の頼みだ。 そして、それを活かす能力が今よりもっと必要だ。 事業者としての5年で培ったものは大きい。得たものも多いし、知ったこともかなりある。 でも、その上にあぐらをかき始めたのも事実だ。 自分でなんでもコントロールできるから今の方がずっとやりやすい。 そしてそればかりが頼りだから不安はずっとつきまとう。 そういう思いとこれからと、周囲の変化と自分の対応力と、殺さずに活かすのはどうしたらいいのか考えた時、変えるカタチが見つかった。 深く考えても、塾考もしていない。 悩んでもいない。 バッカみたいに早く思いついた。 何がいいのか、どれが成功するか、一番合っているのはどれか。 そんなコト、ちっとも考えなかった。 「何のため」 考えたのは、それきり。ただの1つきり。 何のためか。それだけでいいんだと、あらためてわかった気がした。 そして、わかればそれだけでいいわけじゃないのだから、ここに書き留めておく。 何のために変わるのか。 いつまでもそれを考えて進むように。

生きないといけない

今日は仕事が進まない。 気合もそこそこ入っていたが、一人事務所に籠る日はどうしてもそうなりがちで、もう一度ブログを広げて読み返して、また書き始める。 娘と息子とボクの3人で出掛けることは多かった。 車で、自転車で、歩いて、バスで、電車で、思いつく方法は全部やった。 時には水上バス(船)にも乗った。人力車にも乗った。 いろいろ見せてあげたくて、体験させてあげたくて、食べさせたくて、一緒に行きたくて。 思いつくまま、探して見つかるまま、1つ1つ行っては表情を見て確認した。 ヒットすることはそれほど多くなく、ハズレもそれほど多くはなかった。 いろんな生き物や人に会い、話し、触れて、憶えた。 ボクも知らないことが多くて一緒に憶えた。 一度、車の中で、息子を酷く叱ってしまった。 後部座席で娘のチクビあたりに噛み付いたからだ。 たぶん、何か興奮するようなことがあって姉弟でケンカをしていたせいだ。 直後は赤く腫れ上がり、後で傷になっていた。 車を停めて大きな声で息子に叱った。 娘も一緒に大泣きだった。 鬼のように怖かったに違いない。 だから息子は、きっと今でもボクを怖いと感じている。 謝ったって伝わらない、そんな嘘っぱちな言葉だけで。 大丈夫だったかと娘に確かめようとしても、もう二度とできない。 少しの楽しさがあれば覆い隠せるとでも思ったのか、ボクは・・・。 笑っていたら幸せなんだとでも信じてたのか、ボクは・・・。 自分の自慢がないもんだから、子どもたちの何かをそれにすり替えて自慢ぶる。 ろくな親でもないくせに、子どもの可愛さと行く末にあらぬ期待を乗せる。 恥を知れ。 情けを持て。 優しくいろ。 苦しみ尽くせ。 息子は若干8歳の小さな体操選手である。この子に託すボクの思いは、勝手に膨らんでしまう。だから、それが膨らみ過ぎないように自分を抑えないとならない。でも、それを知ってか知らずか、彼は着実に前に進んでいる。彼の名前に託された「思い」の通りに。それを感じるから、ボクは自分の情けなさを思い、進む原動力を見つけることができた。でもその前に、だからこそ堕ちるだけ堕ち、沈むだけ沈まないとならない。最底辺の底に叩きつけられてから、間違うことなく浮き上がって来なくてはならない。そして、優しい人になりたい。家族に、人に、生き物に、すべてに優しい人になりたい。優しい人にさえなれたら、もうそれで十分だ。そういうカタチを見つけるまで、ボクは生きないといけない。

なにかのカタチをさがしてる

娘を亡くして2年を迎える。 まだ寒くて、その深夜には雪が積もった。 まだハッキリ憶えている。 今朝、冷蔵庫から麦茶を出してコップに注いだら、その1杯切りでポットの中身が空になった。息子の朝食のおかずがちょっと塩っぱかったし、この時期は湿度も低くて喉が乾くから入れてみたんだが、息子の分1杯切りでなくなった。ママとボクは朝コーヒーを飲むので要らない。いつもはそれで終わりだけど今日はポットをキレイに洗って、新しい麦茶をセットすることにした。麦茶のある棚を開けると、透明のケースの中に麦茶のパックが見えた。「むぎ茶」とシールが貼ってある。これなら誰にでもわかる。中身も見える。ケースを下ろしてフタを開けると、残りは10パックくらいだ。ポットにはパックを2つ入れてセットする。冷蔵庫には、そのポットがいつも2本入っている。何かと飲む機会も多いから、きっとすぐに無くなるし補充が必要だ。今日明日にもママは補充分を準備するだろう。朝食をボクが用意するなんてホントに稀だし、今日から仕事始めだったから何となく朝が早くなってしまって、手持ち無沙汰を埋めるようなもんだった。それに、こうしたことを「しないといけない」と思っているからでもあった。 当たり前のようにいつも麦茶がそこにあり、当然のようにそれを飲み干して、無くなれば「無い」と口にする。そうすればまた麦茶が、絶妙なタイミングでそこに現れる。そんな毎日を当たり前のように過ごしてきて、今、麦茶がセットされるまでの一連の流れを知って、少し胸がすくむ。 ボクはホントに父親だったのだろうか・・・。 ウチのことを、何も知らないで生きてしまった・・・。 帰宅したら麦茶のパックの残りを見ておこう。 「まだ」だったとしても、だからって勝手に補充なんて、よそう。 そんなことしたら、そのわざとらしさが、我ながら鼻につく。 だけど、そのままにしておくのもなんだか違う気がするんだけど、 何をするにもどうしようもなく、 ホントにどうしようもない。