愛のカタチ

父親失格のボクがこれからをどう生きるか、未来のボクに残したくて始めました。

無題

明日、ママは仕事だ。 毎週土曜日は、そうなる。 だから、息子と2人きりの日は、当座土曜日と決まった。 まだまだ信用し切れず、iMacに繋がったUSBポートを見れば何をしたのかと妄想する。鼓動が高鳴りながらマウスをクリックして、動作履歴を確認する。わからない。更に妄想が輪をかける。 だが、妄想なんかではなく、ボクは既に事実を知ってしまっている。その証さえ、持ってしまった。なんなら本人の言質さえ、叩き付けられた。だから、妄想なんて今更で、単なる裏付けに過ぎない。知れば知るほど、虚しく、悲しく、恐ろしくなるだけ。なのに、病的に働くボクの触覚は益々鋭くなっている。 それを、僅かながらも猛々しくくだらないプライドが、理性のような感覚をもってこの気持ちを抑えている。だからまだ爆発はしていない。危機的で且つ絶妙なバランスを保ったまま耐えている。いつまで続くのか、耐えている。 息子が隣で寝息を立てている。この頃はこうして、今日はパパと、今日はママと、と交代しながら添寝をしている。3人川の字になることは、もうない。息子は、それをも知っているのだろうか。パパとは楽しく、ママには甘えて、8歳にしてはグーっと幼稚な態度が今は心臓を掴まれたくらいに痛みをおぼえる。すまない。 いつか離れるその日のために、今は耐えて鍛えてチカラを蓄える。疲れを癒すのは、ココではなくて別に持つ。そういう生き方を選んだから、お前もそういう生き方を選べと示される。日々、そんな言葉をかけられているように思えてならない。あれほど愛したのに、今はそれさえ疑わしい。