生きないといけない
今日は仕事が進まない。
気合もそこそこ入っていたが、一人事務所に籠る日はどうしてもそうなりがちで、もう一度ブログを広げて読み返して、また書き始める。
娘と息子とボクの3人で出掛けることは多かった。
車で、自転車で、歩いて、バスで、電車で、思いつく方法は全部やった。
時には水上バス(船)にも乗った。人力車にも乗った。
いろいろ見せてあげたくて、体験させてあげたくて、食べさせたくて、一緒に行きたくて。
思いつくまま、探して見つかるまま、1つ1つ行っては表情を見て確認した。
ヒットすることはそれほど多くなく、ハズレもそれほど多くはなかった。
いろんな生き物や人に会い、話し、触れて、憶えた。
ボクも知らないことが多くて一緒に憶えた。
一度、車の中で、息子を酷く叱ってしまった。
後部座席で娘のチクビあたりに噛み付いたからだ。
たぶん、何か興奮するようなことがあって姉弟でケンカをしていたせいだ。
直後は赤く腫れ上がり、後で傷になっていた。
車を停めて大きな声で息子に叱った。
娘も一緒に大泣きだった。
鬼のように怖かったに違いない。
だから息子は、きっと今でもボクを怖いと感じている。
謝ったって伝わらない、そんな嘘っぱちな言葉だけで。
大丈夫だったかと娘に確かめようとしても、もう二度とできない。
少しの楽しさがあれば覆い隠せるとでも思ったのか、ボクは・・・。
笑っていたら幸せなんだとでも信じてたのか、ボクは・・・。
自分の自慢がないもんだから、子どもたちの何かをそれにすり替えて自慢ぶる。
ろくな親でもないくせに、子どもの可愛さと行く末にあらぬ期待を乗せる。
恥を知れ。
情けを持て。
優しくいろ。
苦しみ尽くせ。
息子は若干8歳の小さな体操選手である。この子に託すボクの思いは、勝手に膨らんでしまう。だから、それが膨らみ過ぎないように自分を抑えないとならない。でも、それを知ってか知らずか、彼は着実に前に進んでいる。彼の名前に託された「思い」の通りに。それを感じるから、ボクは自分の情けなさを思い、進む原動力を見つけることができた。でもその前に、だからこそ堕ちるだけ堕ち、沈むだけ沈まないとならない。最底辺の底に叩きつけられてから、間違うことなく浮き上がって来なくてはならない。そして、優しい人になりたい。家族に、人に、生き物に、すべてに優しい人になりたい。優しい人にさえなれたら、もうそれで十分だ。そういうカタチを見つけるまで、ボクは生きないといけない。